暦の上では秋といえど、まだまだ夏の日差しを感じる・・が、9月も下旬になれば “【秋分】” がやってくる。
秋分は昼と夜の長さが同じになる日。 彼岸の中日であり、秋のお彼岸の時期でもある。
秋を感じる枕詞には「食欲の秋」 「スポーツの秋」 「読書の秋」などとさまざまな呼び名で親しまれることから、 “自分だけの〇〇な秋” を、存分にたのしみたい思いが伝わってくる気がする。
そんなわたしは秋になると、とにかく外に出て自然を感じたくなる。 この季節にはいろいろな感情がこみ上げてくる感覚があり心が動くことから、 “感性を育む秋=感性の秋”と思いついた。
“感性” とは印象を受け入れる能力・感受性のことをさすらしい。
クーラーの効いた部屋にいる時間が多かった夏の季節、少し怠けた身体を自然の中で思い切り動かすことで、なんとなく五感が揺さぶられる感覚をあじわう。
締め切っていた部屋の窓を開けるといい風が入り込み、たまに風の音を聞いたりする。 昼と夜では清々しさがまるで変わる風は、いい秋の香りをはこんでくる。
栗や柿、ナスにさんまなど秋の味覚も堪能しないわけにはいかない。
木々に目をやると早いところでは、紅葉がうっすら黄色や赤に色づいて。 外を散歩して、じっくりと自然の移ろいに集中できるのは、ほどよい気候である秋ならではのたのしみかもしれない。 暑過ぎたり寒すぎることに気をとられることもなく、集中力も高まりそうだ。
五感をふるわせ磨いた感性は、心を動かす力になり、意欲や学びの原動力に繋がるらしい。 子どもの感性を磨く、という言葉を色々なメディアで耳にする意味もよくわかる。
大人は感性を磨けないか?というとそうでもなく。
私は二十歳を過ぎてから、茶道という他には表現し難い世界を覗いてみた。 お稽古場に通いだししばらくしてから、不思議と季節をたのしむ感覚がわかるようになる自分に気が付いた。 畳の部屋で感じたものを、自分なりに解釈しいつも大切に心にしまっていた。
ひょんなことから、なにかの発想に繋がる瞬間・点と点が結ばれる瞬間があって、これは私にしかわからない喜びだ。 今ここで書いているブログにも繋がっている気がする。
日常の楽しみを自ら生み出したり、趣味でも思いもよらぬアイデアに繋がったり、また自分の感覚のなかだけで楽しむものもあるだろう。
表現するしないに関わらず、自分ならではのオリジナリティーがあると、なにかの時に背中を押してくれる気がする。
とにかく情報に溢れ忙しい現代。 たまにはゆっくり時間を使い、自然を感じること・のびのびする時間をゆるしてあげる。
そんな日々が増えるとより毎日が豊かになりそうだし、そういう人たちで溢れてほしいとも思う。
日々の疲れを早いタイミングで癒やすのも、一日を気分よく過ごすコツかもしれない。
また寒すぎない今の季節には “秋の大掃除” という言葉もあり家事もはかどりそう・・。 楽しみ方は人の数だけありそうだ。
近年は秋といえども残暑がつづき、気づいたらもう冬じゃないか・・!と、がっかりすることもしばしば。
今しかない、秋の風情をめいっぱい感じてみよう。
と、現代に埋もれないよう この秋も自分に言い聞かせてみる。
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